2026年4月5日。
昨日は父の百ヶ日法要でした。
墓前でこれまでの自分の過ちを深く反省し、これからの真実の歩みを誓ってきました。
そこで出会った一つの言葉が、今も私の心に温かな灯をともしています。
今日の一言
「やり直しのきかない人生だが、見直すことはできる」(金子大栄)
過ぎ去った時間や失ったものを取り戻す(やり直す)ことは不可能です。
しかし、これまでの歩みの意味を問い直し、これからの生き方を変えていく(見直す)ことは、今この瞬間からでも可能です。
10年間の暗闇は消えませんが、それを「再生のための糧」として見直す…
お寺の本堂で出会ったこの言葉は、まさに今の私への激励でした。

父の墓前で伝えた「反省」と「決意」
昨日の法要では、父の墓前に立ち、今の正直な気持ちを伝えてきました。
ギャンブルに溺れ、自分を見失っていたことへの深い申し訳なさ。
そして、名古屋での「祝福」を経て、今は「凪」の心で一歩ずつ歩んでいること。
父は何も言いませんが、春の静かな風が、私の決意を優しく受け止めてくれたように感じました。
本堂で出会った「魂の激励」
法要の際、お寺の本堂に掲げられていた金子大栄さんの言葉に、私は釘付けになりました。
「やり直しのきかない人生だが、見直すことはできる」
これまでの私は、失ったお金や時間を取り戻そうとして(やり直そうとして)、さらなる深みにハマっていました。
しかし、大切なのはそこではありませんでした。
過去をどう「見直して」、これからの人生に繋げていくか…
その真理を突きつけられた気がして、胸が熱くなりました。
「お土産」と「駅弁」に込める、日常の尊さ
今回の法要では、お土産代や駅弁代など、一つひとつの出費に心を込めました。
かつてのように無造作に浪費するのではなく、家族の笑顔を思い浮かべながら、あるいは旅の無事を感謝しながらお金を使う…
この当たり前のような「生きたお金の使い方」こそが、私の人生を見直した結果の、最初の一歩なのだと感じています。
今日の終わりに…
今日は法要の余韻の中で、自分自身の人生を静かに「見直す」一日となりました。
「やり直しはきかない」という言葉は、一見厳しく聞こえます。
しかし、それは「今、この瞬間を二度と無駄にしない」という覚悟を促す、究極の慈悲の言葉でもあるのだと気づきました。
もう、小道のような枝道には迷い込みません。
明日は、法要を経て得たこの「激励」を力に変えて、また一歩、誠実に日常を積み重ねていきます。


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