【断】9日目:本当にギャンブルという「存在」が悪いのか?…138円の幸せの裏側にあるもの

再生への記録

これまで、決意の日から1週間は、「感情や衝動の抑制」というフェーズ中心で綴ってきました。

しかし、そのままの視点では、「同じことの繰り返し」になりそうで…

なので、2週間目に入ったこともあり、一歩進んで、「日常の気づきや感性」に目を向け、新しいアプローチ…「今、気になっていること」「今、感じていること」へシフトさせようと思います。

今日の一言

「汝(なんじ)の心にこそ、幸も不幸も宿る」

物事そのものに善悪があるのではなく、それをどう扱い、どう向き合うかという「私たちの心」が、その後の人生を天国にも地獄にも変えてしまうのです。

「依存」の責任をどこに置くか

これまで私は、どこかで「ギャンブルという仕組みがあるから自分は苦しいのだ」と、責任を外に転嫁していた部分があったかもしれません。

しかし、よく考えてみれば、水面を駆ける競艇選手も、砂塵を舞わせる競走馬も、皆が真剣に、命を懸けて戦っています。

その懸命な姿そのものに罪はありません。

それに「賭ける」という選択をし、のめり込んだのは、他でもない私自身の「欲望」だったのです。

娯楽と依存の「決定的な境界線」

娯楽の範囲で楽しむ分には、それは一つの文化かもしれません。

しかし、自分や家族の生活をおざなりにしてまで投じてしまうのは、完全な本末転倒です。

昨日感じた「138円のキャベツの重み」。

あのささやかな日常の幸せを犠牲にしてまで追い求める「刺激」に、一体何の価値があるのでしょうか。

欲望を「凪(なぎ)」に変えるために

最近、ようやく気持ちが落ち着いてきました。

お金の使い方も、少しずつ「正常」な感覚を取り戻しつつあります。

これからの私は、「何かに抗う」のではなく、自分の中に芽生える「欲望」の正体を静かに見つめていこうと思います。

気になること、感じたこと。

それらを一つずつ丁寧に記していくことが、私の新しい歩みになると信じています。

今日の終わりに…

今日は、これまでの自分を少し俯瞰して見ることができました。

敵は外にあるのではなく、常に自分の中にいる。

でも、その自分を「敵」として戦うのではなく、正しく理解し、手なずけていく。

9日目を終え、そんな「静かな確信」が芽生えています。

「神様からの最終通告」。

あの日の衝撃を今の穏やかな心で受け止め直し、さらに一歩、前へ進みます。

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